Day36-37 ばいばいネパール

4/9.4/10

Kathmandu

外出自粛制度に緩みが見られ、人々の生活に多少の活気が戻ってきた頃、帰国した

帰国難民ボランティア

カトマンズの東側には中華街がある。その名の通り中国系の店が多く立ち並び、その中に我らが日本の店もちらほら見受けられるのだが、ロックダウンで食糧の調達が難しくなった帰国難民の方々にむけ、無料配給をしている方々がいた。

店をもつ中国の皆さんである

これは肉まん

こっちは弁当を配っていて、

困っている人たちのために活動してくださっていて、僕も二度お世話になった。

今回のコロナの原点であることも相まって、中国人にマイナスなイメージを持つ方が多くいたであろうが、実際に見ていないのに固定概念で否定するのはとんでもなく無礼だと思った。

この皆が困っている中、中国の方々が誰よりも先に困っている人のため行動していた。

今回僕の搭乗したチャーター便もネパール政府が用意してくれたもの。

この騒ぎの中、日本大使館に情報提供や移動面など協力してもらいたいところは数多くあったが、実際お願いしても何も動かず、残留日本人の情報登録も非常に遅かった。

日本のほうがよっぽど非協力的だ。

悪い印象を与えているのは政府だけなんじゃないだろうか。

中国はぜひ行ってみたい国の一つになった。

自粛ムードの緩和

総感染者数は当時国内で8人しかいなかった。

それでもロックダウンしていたのは隣インドの感染者が1000人越えで、その政策をまねしていたためである。

安全を確認してからか、夜の外出可能時間中のタメル北西の市場は非常に盛り上がっていた。

野菜を並べて露店も復活
好んでよく買ったヨーグルト屋

タメルチョークも人に活気が戻ってきていた。

日本食料理店も訪れた。オーナーのわたるさんの夢を語るエネルギーには自分はかなわないと思わせられるほどだった。

帰国

ヨーロッパ行のチャーター便は多く手配される中、ついに日本行のチャーター便も手配された。

その値段20万。

僕は発表されたとき到底乗る気はなかったが、チケット購入可能の最終日、ロックダウンと国際線停止の4/30までの停止が発表された。(インドの政策をまねするので、インドで発表されたときには察してはいたのだが)

帰国後の二週間の隔離機関も考えると、当時GW明けから再開する予定だった学校活動に間に合わなかったので最終日に出国を覚悟した。

タメル東の旅行会社で購入できたのだが、ネパールで知り合った多くの日本人が集結していて楽しい時間を過ごした。

20万を一括でカード払いした時には手が震えたが,,,(笑)

在ネパール日本国大使館

先ほども大使館への不満を述べたが、もう一つあるので言わせていただきたい。

このチャーター便は帰国難民用だったが、さらに不利な状況にいたのは香港の方々だった。

把握している限りでは6人しかネパールにいないようで、帰国のチャーター便が出るとは到底考えられない。

そこで日本のチャーター便に搭乗しようときていたのだが、日本大使館は

“日本人向けのチャーター便だから”

という理由でNOの一点張り。

日本は韓国にお世話になっているというのに、イレギュラーは対応がめんどくさく、責任を抱えるのが嫌であるという理由(そうとしか思えない)で搭乗拒否した。

日本人は頭が固いと思うが(ブーメラン)、責任を背負いたくないゆえにまったく相手の状況に寄り添おうとしないのはいかがなものだろうか。

今回日本大使館に対しては不信感しか抱けなかったので、いずれ改善することを願うばかりだ

香港の彼女たちとはこの後一緒にお世話になっているダルバート屋さんに一緒に食べに行った。

パーティー

すでにシャンティゲストハウスで仲良くしていた人たちはほとんどチャーター便で帰国してしまい、寂しかったのだが、日本人宿のトラベラーズホームで帰国パーティーを最後の夜にするらしいく、誘っていただき参加した

僕は自転車を梱包する段ボールがどこもお店がやっていないせいで入手に非常に苦労し、遅れてしまったので写真に写っていない。(残念過ぎる(笑))

数人は既にあったことがあったり、ポカラであった大学生と奇跡の再会をしたりというのはあったがほとんどは初対面。

でも、こんな状況の時に山岳大国ネパールに残されるような人たち。

僕のような”普通じゃない”人間が集まっている場所

いまだかつて初対面でこんなに居心地がいい場所があっただろうかと感じたくらいには楽しかった。

みんなこの記事を見てくれているのだとしたら、僕は本当にみんなにまた会いに行くつもり満々なので、その時はまた一緒にお酒飲みましょうね!!

最高の最後の晩餐だった

共にロックダウンを経験し、共にすごした仲間たち。山好きが集まっていることも合間みって全員心からまた会いたいと思える最高の出会いだった

帰国

帰国の便は二度時間の繰り上げがあって20:00フライトになった(当初夜中の1時だった)

依田さんや宿のオーナー、それにアミルカン一家にさよならを言って3時ころ空港に向かった

空港とは思えないほど閑散としていた。ここで自転車を梱包し、昨日パーティーを楽しんだ仲間たちのバスを待って共に行動し、最後の時間を過ごした

飛行場ではボランティアの方々が麦茶とおにぎりをふるまってくれた。これを作ってくれたのが昨日訪れた居酒屋花の方々だったそう。

予定通り出国。

LCC以外に乗るのが久しぶりだったため、豪華な機内食に感動した。モニター搭載もいいもんだ。

成田に到着したのは6:00だったが、機内から5人ずつ出して検疫させるスタイルだったので機内を出れたのは9:00を過ぎた

ネパールは検疫必要な特に危険な50か国に入っていなかったため、帰国後の隔離についてサインさせられたくらいだった

同時にジャカルタからのチャーター便が到着したため時間がかかっていたらしい

そして無事帰国

最後にみんなとお別れをして、僕のネパール旅は完結した。

総括

ネパールではトロンパスで死にかけたり、ロックダウンで隔離されたり、他人から見たら散々の目にあったように思えるかもしれないが、僕は本当にネパールへ行ってよかった。

ずっともやもやしていた感情も吹っ切れ、普通に生きていても経験できないようなことを海外で経験できた。

これからの生活をより良いものにしてくれると確信していたが、実際隔離期間中オンラインイベントをやったり、ブログを移行させたり、夢のため勉強したりと非常に有意義な時間の過ごし方ができた

吹っ切れ、意志が固まり、前に向かって進めていると自分でも思う。

ネパールに行かなかったら、まだうじうじして悩んでいただろう。すべてネパールでの経験のおかげだ。

この経験と、出会った人たちは一生の財産になる。

そう確信している。

出会ったすべての人たちにありがとうと言いたい。

必ず、また会おう

【END】

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KobaTaku
登山ちゃり旅スキー等アウトドアを生業とする社会人のふりした永遠の放浪者。人と自然と動物が好き。夢は奥さんと世界中を旅すること。 【自転車世界一周夢ラン】 19482km 2018.03.04-12/30